さの町場について

sano machiba

泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)周辺は、「さの町場」と呼ばれています。
江⼾時代には豪商「⾷野(めしの)」⼀族がこの⼀帯に拠点をかまえ廻船業で栄華を極めたように、農⺠、漁⺠、商⼈などが共に暮らす独⾃の町⼈⽂化が開花しました。
現在も古い蔵や町屋が残る街並みは、⾃然に形成されたもので、建物は不整形で道は狭く迷路のように複雑です。
超⾼層ビルが路地のすき間から顔をのぞかせるのも、関⻄国際空港周辺の近代的⾵景と古い町並みが交差する「さの町場」の特⾊です。

町場でさんぽ

さの町場を歩いて歴史を感じてみましょう。
いろんな発見があります

01

煙出しのある屋根

さの町場は早くから⼤⼩の⽡葺きの⺠家がぎっしり詰まった町でした。
今ではほとんど取りはらわれていますが、カマドの煙を出すため屋根に⽳をあけ、⼩さな覆い屋根をつけていました。

02

望楼のある建物

⼆階建ての建物の上に望楼があります。
廻船問屋などと沖へ⾏く船と連絡するため合図を送る施設と伝えられています。
船からは積荷を知らせ、陸からは荷降ろしする場所を知らせます。この家は製粉を作る⼯場で、⼤量の原料・製品を荷降ろしするための合図が必要だったのでしょう。

03

佐野最初の
鉄筋建ての⼯場跡

⼤正時代建築、さの町場最初の鉄筋建物は、岸和⽥から和歌⼭までに卸す⽶粉を⽣産していた製粉⼯場跡です。
壁に出る柱のラインや窓のとりかた、屋上の柵などに⼯夫した、洒落た意匠の⼯場です。

04

銀行跡

さの町場で設⽴された泉陽銀⾏が業績を伸ばし、1921(⼤正10)年に洋⾵の建物を建ててこの地に移転しました。
泉陽銀⾏は⼤恐慌の影響から、1932(昭和7)年に破産してしまいましたが、後に和泉銀⾏佐野⽀店、近畿相互銀⾏、⾺野酒店となり、現在はマッサージ施療院として使⽤されています。

05

お多福⽯

1895(明治28)年に佐野村の⼈々によって作られた泉陽銀⾏が、設⽴当初にあった場所です。
名残をしめす銀⾏の蔵が残り、その⽯積みにお多福⻲甲の彫刻があります。

06

神社があった名残を⽰す
⿃居の柱やミニ⽯橋

ここは元⻄村神社の⼊り⼝で、⿃居の柱と「梅のはし」と刻んだ⽯橋が残っています。
さの町場周辺には、たくさんの神社がありましたが、1909(明治42)年の神社合祀により、すべて春⽇神社に合祀され、なくなりました。

07

なつかしいタバコ屋さん

カーブしたタイル張りの店先で、昭和時代のタバコ屋の様⼦をよく残しています。⺟屋はもと⿂問屋の建物です。
現在は営業していません。

08

⽊造洋館⾵の建物

この洋館⾵の⽊造建築は、1897(明治30)年、岸和田で創業した和泉銀⾏の佐野⽀店跡です。
旅館や飲⾷店としても使⽤され、現在は住宅となっています。

09

いろは蔵

さの町場周辺は佐野浦とも呼ばれ、漁船はもとより千⽯船も多数出⼊りする泉州最⼤の港で、海岸には荷物を⼊れる倉庫・蔵が多数⽴ち並んでいました。
いろは蔵とは海岸に沿う道の両側に建てられた蔵群をさし、50棟近くあったことから、いろは48文字にちなんだ呼称とされています。
佐野浦の繁栄を⽰すかのような、梁間5間×6間の切妻屋根、⽩壁塗の堂々たるものです。現在は年々取り壊され、10棟ばかりが散⾒されるのみです。

10

力石

船の荷積みをする労働者がこれを持ち上げ体を鍛え腕試しに使った⽯です。⽯には「⿓⻁」や「浜仲⼠」と刻まれています。
重さが40貫(約150キロ)もあります。

11

大将軍湯

唐破⾵の正⾯、⼆階の座敷、内部のミカゲ⽯づくりの湯船と床、そして現在も薪を燃料とするなど⼤正時代の⾯影を残しています。
佐野にはたくさんの⾵呂屋があり、江戸時代には12軒もの銭湯が組合を組織していました。
漁⺠や農⺠が利⽤するため時間をずらして営業したり、海水の「塩湯」や紀州⽩浜や椿の湯を船で運んだ「温泉」などもありました。【現在営業していません】